直帰

ミンユンギとごはんたべたい

ユンギザァァン好ギィウッウッウ側の人

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■イロ直帰ラジオが配信されました。

 

直帰です。

 

■昨日はSUGAさん生誕祭の最終夜だった。個人的に試してみたかったことなのだけど、お便りを読んでいる間いい感じのリラックス系のBGMを流してみたら、すごく良かった。リスナーの方から送られてきた文章が「お手紙」になっていく感じがした。

 

■最初はBTSのバラード曲を流そうとしていたのだけど、あまりに曲が良すぎてめちゃくちゃ気が散るのでYouTubeの作業用BGMにした。「良すぎてダメ」というケースがあることを知った。

 

■結婚式の手紙を読むシーンとかで、いかにもな感じでBGMを流すのって気恥ずかしさがあったりするけど、昨日の例を見るとやっぱりBGMの力は偉大だ。あれは理にかなっているのだ。感情の没入の手助けをしてくれる。

 

■あーでもあれだけは好きになれないな、葬式で流れるオルゴール系のバラード。”死”を演出するなよと思ってしまう。そんなよってたかって悲しませようとしなくても十分悲しいのに「いま悲しい場面ですね~~~!悲しんでいいんですよ~~~!泣いちゃいな~~~~!!!」って言われてる感じ、いいからもうわかったから!ってなってしまう。

 

■かと言って、あれが無音だったらもっと地獄みたいな空気になる気がする。なるほど、場に何かを流さざるを得ないとき、最も無難なのがオルゴール系のバラードなのか。私はそもそも自分の葬式はしてほしいと思わないけど、もしするなら事前に葬式用のプレイリスト作ってから死のう。チル系のR&Bを中心に構成して、最後はバチバチのグルーヴ曲でフロア(葬儀場)ブチ上げてかませYeah Yeah Yeahするのだ。みんな喪服なんてしみったれた服着ないで、いちばんお気に入りのお洋服着てきてほしいし、マジ今日の選曲良かったよねーって汗かきながら二次会(火葬場)へ向かってほしい。

 

■自分の葬式の話をしてしまった、そんなのはいいのだ。昨日のラジオ配信が終わってからすぐ、こんなマシュマロをいただいた。

 

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■やーーーーん!!!!!!!!!!!!恥ジュかしい!!!!!!!!!!アガーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!1ミナイデーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!アーーーーーーーーーーーー

 

 

■そう、私は昨日ラジオの後半、感情がたかぶって泣いてしまったのだ。泣くつもり1ミリもなかったのに泣いてしまった。くそう、いい感じのBGM流したの誰だよ!!まんまとのせられてんじゃねえか!!!!あとで葬儀場裏こいよ!!!!

 

■このマロ主さんは私に対して「感情を出さなそう」というイメージがあったみたいだけど、ああそうさ、私はこういうとき公共の電波でズビッズビに泣く側の人間なのだ。余裕でそっち。映画みてもすぐ泣くし。ユンギザァァン好ギィヒグッヒグッエグッという気持ちにも、ちゃんとなる。

 

■「涙ながらに話されてるのを聞いてほっとしました」って言われてて笑った、いい人だな。上からの感じなんて全然しないよ、ユンギさんの前では我々は常にフラット、All equal.

 

■てかユンギさんの広い広い優しさの前ではサイボーグでも泣くだろ、心をもたないはずの人造人間が「オマエ…ヤサシイ…」ってなりながら殺戮の手を止めてその場に崩れ落ちるだろ、War is Over.

 

 

■そもそも自分がユンギザァァン好ギィ側の人間じゃないと思われていたことが意外だった。Twitterはじめてからずっとユンギザァァン好ギィをしまくってきたつもりだったけど、それがあんまりユンギザァァン好ギィに映ってなかったってことなのか?

 

■というか思い出した、イロさんにもそんなことを言われた気がする。私がユンギさんに感謝していることを述べたあと、「そんな激情でユンギのこと話してるの聞いたことなかった」ってイロさん言ってたわ。「ほんとにユンギのこと好きなのねえ」と言われた。

 

■草である。散々一緒にラジオやってるイロさんにも伝わってなかったのかしらねえ。

 

 

■お便りを送ってくれた中に、「他者からの評価だけで自分に名前をつけていたら、本当の自分が何なのかわからなくなった」という人がいた。「あなたは面白いね」と言われることが多かったその人は、きっとどうやったら人に面白いと思われるかもある程度知っていて、そんな好かれる自分でずっと順調に生きていた。でも、あるとき「頑張ってるのはわかるけど本当のあなたがわからない」と言われた。「面白い」の仮面をはがされて、心の内の誰も入ってこれない場所に鍵をかけて閉じこもり、一人でわんわん泣いた。

 

■そこにスルッと入ってきて「あんにょん」と声をかけてくれたのがミンユンギという人間だった。彼は「何者かでいなければならない」という固定概念を壊してくれた。そこに感謝しています、というお便りだ。私はこのお便りがすごく好きだった。

 

 

■さっきの話も、これに通ずるものがある。他者からのイメージと、自己認識がぴったり一致することなんてほぼないのだと個人的には思う。そもそも自分の本質なんてものが存在するのかどうかさえ怪しい。本質とイメージを並べて、これは合ってる、これは違う、とよりわけていく行為にはあまり意味を感じない。「冷たい人」は「クレバーな人」にもなりえるし、「面白くて人気者な自分」は「無理して笑うピエロな自分」にもなりえる。どれが正解とかではなくて、人の数だけイメージがあるだけだ。本質だと思っているものも、自分がもつ自分へのイメージにすぎないのだ。

 

■どうせ本質なんてなくて、イメージだけがそこにあるなら、自分のイメージくらい高く見積もっておいたほうがお得だ。”得”という言い方をしてしまうけど、人生にはこういうセルフイメージの高い人が得する場面が多すぎる。

 

■本質にウソをついている気持ちになったとしても、誰かにとってはホントに見えるならそれでいい。自分にウソをついてだましだましやっていたことが、気付けばすっかり自分の血肉になっている、ということも全然ある。

 

■「形から入る」とはよく言ったもので、より良くなりたいときはまずは自分を騙すことから始まる。ダイエットを成功させたいとき、体より先に心を女優にしておけば「アタクシは大女優なのでこんな時間にポテチは食いませんことよ」と思えるように、現状はどうあれ未来の自分に心だけ先になってしまえば、現状なんて後からついてくるのだ。

 

■そういう意味で、本質の存在なんて信用ならないし、信じすぎなくていい。面白い自分でいたい気分ならいくらでもピエロになればいいし、飽きたらやめればいいのだ。私は自分のもつ直帰へのイメージがあるので、もうしばらくそのイメージの上で遊んでいようと思う。

 

 

■「バンタンと出会ってコンプレックスとの向き合い方が変わった」みたいな話をたまにお便りでもらうことがある。それは容姿であったり心であったりさまざまだ。イロさんともそういう話もっとしたいねってことで、来週のラジオのテーマはそれにすることにした。

 

■またツイートでも募集をかけますが、そういうのあったら送ってくださいまし。

 

marshmallow-qa.com

 

■ブログを書くうえで昨日のラジオを聴き返したのだけど、桜並木の下を歩きながら聴いたらめちゃくちゃ幸せな気持ちになって、ちょっとまた泣きそうになった。

 

■やっぱり自分はユンギザァァン好ギィ側の人間だった。サイボーグには全然なれない。桜みながら目をウルッとさせてる人間、良い奴っぽいでしょうが、愛してー!!!

 

 

お先に失礼します。